撮れたかも委員会

とある企画のためにここ半年の写真を見返していて思ったことがある。残念な写真はほんとうに残念だったのだろうか。

普段からMFレンズを使っていると、デジタルといえどもまあまあミスをする。いまだに祈りながらシャッターを切るし、撮り逃した場面も多いと思う。

RAW現像しながら「もう少し早ければなぁ」とか、「焦って撮ったからピントが…」みたいなことはしょっちゅうだし、そもそもそんな写真は現像しない。取り込まずに消去することも多い。ハードディスクは有限なのだ。

「あ!」と言うタイミングでシャッターを切れるカメラはとても優秀だ。先日のトランプの写真も、優れた技術と経験、それを支える機材、そしてタイミング。決定的瞬間はそれを捕まえるための準備を怠らない人に訪れるのだろう。

ただ、情報の消費があまりに早い現代において、そんなに焦って撮りたくないなという気持ちもある。この半年間の写真は、ストリートフォトから徐々に離れ、ゆっくりと撮る写真に変わってきている。決定的瞬間ではなく、流れる時間と対話するような写真。スローカメラ。スローフォトグラフィー。

うまく撮れてしまったら、うまく撮れなかった写真は残らない。意図した通りに撮れなかったその写真もまた、撮影者にとっては意味のある残念写真として残るのだろう。撮れなかった写真にも、何かが写っているはずだ。あ、レンズキャップはちゃんと外そう。

下手でいいという話ではない。研鑽がいらないという話でもない。焦る必要はない。展示までまだ36時間ある。

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7/20,21 エッジオフ代官山でグループ展を行います。同時オープンのオンラインストアもぜひ覗いてみてください。搬入間に合え。