わたしの父親は漁師の町で生まれ育った。
9人兄弟の末っ子で、父親以外の叔父さんたちは全員漁師を生業としていた。
彼らは有明ガネという渡り蟹を獲っていた。全盛期は景気も良かったような記憶がある。これがめちゃくちゃ美味い。『どっちの料理ショー』という懐かしのテレビ番組で、本日の特選素材に選ばれたりもした。ちなみに撮影当日は大シケで、後日改めて獲った蟹を送ったそうだ。
そもそも長崎県はどこもかしこも海に囲まれていて、小学生の頃に住んでいた家は30秒ほどで釣りができる環境だった。台風の時の荒れっぷりはすさまじく、窓ガラスが割れたりしていた。
国策の諫早湾干拓事業の一環で水門を閉じてから、漁港の状況は一変した。じっくりと、確実に、町の空気は重たくなっていった。
数年前に、叔父さんの一人が船から落ちて亡くなったと知った。ほとんど獲れないと聞いていたが、それでも海に出て船の上(あるいは海の中)で最期を迎えたことは、本望だったのだろうか。わからない。
実はちいさい頃から魚介が苦手(社会人になってから美味しく食べれるようになった)で、漁港のにおいが苦手だった。町周辺は方言がキツく、陽気な叔父さんたちではあったが、何を言っているかも正直よくわからなかった。暗い港から見る海には、神経を逆撫でするような得体の知れない感情がつきまとった。それでも、その海が故郷であるということ自体は、不思議とあまり嫌ではなかった。
ここ10年くらいの写真を振り返る中で、海のない埼玉県に住んで10年以上が経ったことに気づいた。コロナ禍を境に、長崎に帰ることも少なくなった。
それでも、関東の海にはそこそこ行ってるはずだと写真を探したが、数えるほどしかなかった。意識していたわけではないが、なんとなく避けてきた海のことを、もう少し観察したいと思いはじめている。
具体的な計画はまだないけれど、これからしばらく、海の写真を撮っていかないといけない。
と、思った気持ちを残すために書いてみました。ちなみに杉本博司さんの『海景』が凄すぎてつらいので、まだちゃんと見てない人にはおすすめです。
おしまい